コロナウイルス禍の中での学制変更に反対する理由

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 現在の新型コロナウイルスの流行と緊急事態宣言下で、一部の知事などから学校の入学と学年改変時期を現在の4月から9月に変更しようという提言が出されている。
 これはおそらく、学校閉鎖が3月初めから続き、このままでは3ヶ月の空白が生まれてしまうので、いっそその部分を無かったことにして9月から始まることにしてしまえば良いんだという発想だろう。また、多くの人がかねてから教育の「国際標準」としての9月入学制への転換を望んでいて、このタイミングなら実現できると踏んだのかもしれない。
 しかしそこには次のような弊害がある。

いま制度変更するとこんな弊害が

卒業と就職のタイミング

 まず、卒業と就職のタイミングがずれる。これによって企業の戦略に大きな齟齬が生まれるかもしれない。中途採用を一般化すれば良いんだという意見もあるが、それをこの数ヶ月、もしくは来年の春までに調整しろと言うのは無謀だ。気をつけなければならないのは、日本ではこういう状況がむしろ非正規の増大など雇用の不安定化につながる危険性が強いと言うことである。ただでさえ企業収益が悪化する状況で、中途採用制度の全面化は「買い手市場」優位に働いてしまう可能性がある。
 民間企業ならある程度のやりくりは出来るかもしれないが、国家公務員、地方公務員も同じ問題に直面する。国や地方の計画に重大な問題が起きるかもしれない。たとえば今回のコロナウイルスの流行でも、裁判所や税務署が人員確保上の必要性を盾に所定の研修合宿を埼玉県内で強行しようとして問題になった。それくらい公務員の人事の年間スケジュールはぎちぎちに組まれているのだ。これはある面で「小さい政府」路線を歩み公務員の人件費を削減しまくってきたツケでもあるが、ともかくこれを短期間で調整するのには無理がある。

学生・生徒への心理的負担

 昨年から政府の入試改革強行の姿勢によって教育現場、学校現場がゴタゴタしている。とりわけ受験に絡む子供達の精神的負担は大きく、ここでさらに大きな改変を押しつけるのはひどいと思う。世論調査によっては入学期の変更に対して10代の反対が最も多いという結果も出ている。

経済的問題

 授業料の取り扱いも問題になる。現在の学生・生徒の払っている授業料や入学金はどういう扱いになるのか。もし半年後にずらした場合、特に私学の経営は破綻するだろう。半年分の収入がゼロになるわけだから。
 だからと言ってそのまま取り続けると今度は学生側の経済負担が半年分増えて、学生が破綻する。
 そうでなくても、現状ではアルバイトの減少、親の経済的窮状によって相当数の大学生が退学を検討するという事態になっている。大学側も補助金削減の流れの中で、今回は授業料や施設費の減免の要請が突きつけられ、双方とも追い詰められている。今これ以上の混乱をもたらす危険がある入学・始業期の変更は避けてもらいたい。

学習のずれ

 学習のズレが発生する。多くの大学ではすでにオンライン講義が始まっており、そうすると半年分の講義がダブる、もしくは無駄になってしまう。これは小中高でも同じだ。それは一方では学習意欲の低下につながるだろうし、一方では教育格差として現れるかもしれない。

入学生数の問題

 単純に言って来年の学生・生徒の入学者数が150%になってしまう。つまり来年の9月に入学する学生・生徒は、4月生まれから翌年の8月生まれまでとなり、当然ながらこれだけの増加に人・カネ・物が全く足りなくなる。学校側が緊急に対応することは不可能だろう。
 ここまで述べてきたように、教育体制の問題からも経済的問題からも、入学時期の早急な改変は、子供も親も人生設計まで含めて激変するわけで、それをいま急に強行するのは無謀である。

役所の負担

 現在、国も地方も役所はコロナ対策に追われて激務となっている。そこにさらに大きな負担を負わせると、公務員が疲弊してしまうし、ひいては行政が破綻してしまう危険がある。一部の「識者」は、負担が増えているのは一部の役人のみだなどと言っているが、前線が機能するために後方支援が不可欠なのであり、ある程度の余裕も無くギリギリで闘ったら敗北するのは必至である。全国の保健所を減らしてきた結果、現状のように保健所が機能不全になっていることを見ればそれは明らかだろう。
 ともかく今は全力を挙げてコロナ対策に集中するべき時なのだ。

感染症の収束時期

 そもそも9月に感染症が収束する保証は無い。専門家の多くが秋になると大きな第二波が来ると予想している。そうなると、ここで現在の授業を打ち切り9月に仕切り直そうと思っても、また9月からの登校が出来なくなって結果的に一年近く学校教育が機能不全になってしまう危険もある。
 むしろ現状においては、学生・生徒にいかに学習の機会を保証できるか、リアルに様々なケースを想定した上で熟考すべきだ。それはいわゆるリモート学習かもしれないし、分散化かもしれない。いずれにせよ、COVIT-19の流行が当面のあいだ続くことを念頭に知恵をしぼることが最優先である。

火事場泥棒的発想は捨てよう

 ぼくも本来的には9月入学への変更には賛成だ。しかしそれは今やることでは無い。一部の人々は、この機会をチャンスと考えて学制改革を一気にやってしまおうと言っているが、それは火事場泥棒と同じ発想で容認できない。
 日本は平時ではいろいろな既得権者の声が大きく変更できないから、こういう時を利用するべきだという「リベラル」な論者の発言も聞いたが、これはとんでもない発想だ。民主主義の理念を否定しているに等しい。(レーニンの革命的祖国敗北主義になぞらえることが出来るのかもしれないが、感染症との闘いで敗北主義をとることなど出来ないことは自明である。)
 なんにせよ、この問題はすべてが落ち着いた段階で丁寧にやるべきことであって、いま性急にやらなければならない必然性は無いし、やるべきでは無い。

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