日本の新型コロナウイルス対策について、なぜか国内がまとまらない。本来はこの非常事態にそんなことをやっている場合では無いはずなのに。
首相のリビングでくつろぐ動画投稿とか、有名人の首相擁護要請発言の続発とか、それぞれ問題ではあるが、ここでは問題の核心を抽出して考えてみたい。
問題の核心部分はそんなに多くない。
1.自由
第一の問題は「自由」を巡る対立。
これには思想的な対立と、政治的対立があり、政治的対立はさらに経済分野と統治分野に分けて考えることが出来る。
1-a. 思想的対立
これは、感染拡大を防ぐために国民に行動制限を求める動きに対して、リバタリアンや一部のアナキストなどに代表される「自由絶対主義」者が反発している問題。この層の人たちは何より自由であることが優先され、いかなる自由への束縛も否定する。極端に言うと「地球が滅びようと自由にやる」という立場。
これは思想の立脚点の違いなので解決は不能だ。ただ絶対数は少ないと思われる。それでも今回の感染症流行の中では予想以上に声が大きいことも事実。
1-b-1 政治(経済)的対立
1-aのような原理主義的反対ではなく、経済的補償が無いと仕事を止められないから行動規制に従うことができないという立場。これは3の「補償」の問題と同一の問題なので、そちらが解決すれば解消する。
蛇足的に付け加えると、国民に対する経済補償を原則的にやらない方針の政権は、それと一体で経済活動の制限に消極的立場であるが、他方で通常は自由を優先することを主張する反自民党勢力が、この問題では逆に補償した上で国民に行動制限させるべきという、一見逆の主張をしている。
1-b-2 政治(統治)的対立
今回の感染症流行を政治利用しようとする勢力の問題。
政権は現状では経済活動の制限に消極的である一方、緊急事態に国が国民の権利を強権的に制限できるよう憲法を改正するべきとの姿勢も示している。全くの矛盾した態度で理屈が通らない。
たんに事態を政治的に利用して改憲に繋げようとするだけの策謀であり、現状での緊急性は全く無い。従っていたずらに混乱を引き起こすこのような動きはただちに停止して良いし、停止すべきで、停止するしかない。
1-c 無自覚・無関心者の問題
自由を巡る問題ではもうひとつ、対立と言うことさえ出来ないが、ウイルス感染拡大予防に無自覚であったり無関心、もしくは関心が薄い、理解が足りなかったりする人々の存在を無視することは出来ない。
こうした層が多いと、対立以前にどのような訴えかけをしても行動制限に結びつかない。
この問題への対処は、残念ながら何らかの方法で周知を徹底するか、強制力を持った取り締まりをするかの二択しかない。
2.検査
世界の国々の一般的対応として、出来る限りウイルス感染の検査を広げ、検査数を増やしている。WHOもその立場だ。しかし、日本政府だけは検査の絞り込み政策をとり、見かけ上の感染者数を少なく見せる策略では無いかと内外から批判された。
この検査数の問題も二つから三つに分けて考えられる。
2-a 技術的問題
ひとつは技術的問題。実際上、検査を広げたくても広げられない技術的問題が存在する。
検査場所、機器・装備、技師の不足、感染者受け入れ施設や医療従事者の不足などである。
ただ、この問題は物理的に必要機材を増産したり、民間事業者を利用したり、発熱外来と軽症者隔離施設を設置したりすることによって、対応することは不可能では無い。
2-b 原因不明問題
技術的問題は技術的レベルで解決、もしくは納得することの出来る問題のはずだが、実際にはその議論が混沌としている。
それは政府が検査の問題についてほとんど説明をしていないからだ。
政府は表向き検査の制限をしているわけではないと言いつつ、検査が少ない理由にはっきりした説明をしていない。政府が本当のところどのような政治的方針を持っているのか、もしくは技術的限界があるのか、明らかにしない限り混乱は収められない。
なお、当初はオリンピック開催に支障をきたすために隠蔽をはかったのではないか、パニックが起きたり政府批判が激しくなるのを恐れて現在も隠蔽しているのではないかなどと考えている人は多い。
2-c-1 検査制限論(技術的規定論)
一方でかなり大きな勢力として、あえて検査をするべきでないという論陣が張られている。
これにはまず、検査の体制が脆弱なので検査数が増えると必要な検査まで滞ってしまう、または検査を求める人が殺到して医療現場が対応できなくなるという意見がある。
さらに現在の検査技術では陽性を確実に判定することが出来ず、偽陽性者が病院を圧迫する一方、検査をすり抜けた人がかえって感染を拡大させる可能性が高いとする。
2-c-2 検査制限論(不可能論)
また、そもそも感染者が病院に来て検査をすると医師を含めた院内感染の危険が高まる、感染者が増えると入院が増え医療崩壊するといった本末転倒的(とは言え、医療現場ではリアルに切実な)主張がある。
これらふたつの検査制限論は、技術的対応が可能になれば、解消する問題と言える。
2-c-3 検査不要論
有識者や政治家の中には内外問わず、経済活動を停止すると経済が崩壊するので、行動制限を求めず、感染者を抽出・隔離などせず、症状の重くなった患者のみ治療すれば良いという考え方もある。極度の経済重視論と言える。
この場合は一度感染すると人体に抗体が作られ以後は再感染しないのだから、むしろ社会に感染を蔓延させ集団免疫を作る方が合理的だと主張することが多い。
上記の根拠は、今回流行している新型コロナウイルスは、軽症率が高く、致死率もインフルエンザ並みというところにあるが、実際のところはまだまだ不明な点も多くて異論もある上、回復した患者が再発する事例もあり、感染者にどの程度の免疫がつくのかわからない。
従って現状では根拠薄弱の暴論であると言うしかない。
3.補償
コロナウイルス流行の結果、経済的に不利益を受け、困窮する人々が増えている。補償の問題は単なる経済対策では無く、感染予防策の要でもある。
しかし、はじめに一点だけ指摘しておくと、補償問題を複雑にしているのはこの辺の政策の曖昧さである。それが補填・補償なのか、景気浮揚・刺激策なのかはっきりしない。 しっかり目的と根拠を示して、何を獲得目標とするのかを明示しなければ、その効果もあがるはずがない。
3-a 個人への生活保証
さて、憲法の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の規定によって、個人の生活は感染症とは関係なく保証されている。ところがこれまでは最低限度の生活が送れない人々の相対的な人数が少なかったため、社会的に無視や差別的言説が一定程度あり、人々の関心が薄かった部分がある。
ところが感染症流行を受けて、最低限度の生活が出来なくなる人の数が急激に増えると考えられ、この層への生活補償の問題が可視化されてくると思われる。
現状では、子育て世帯への一時金支給とその増額などが決まっているが、今後さらに個人への生活保証をどう確保するかが激しい議論になるだろう。
3-b-1 営業利益の補償
個人への補償よりも面倒な議論が、経済活動の縮小や制限に関わる補償の問題である。現状において国は原則的に補償をしない方針だ。
この場合、二つの問題がある。ひとつは経済全体の落ち込みによる一般的な利益の減少を補填するかどうか。これは個人の生活保証とも関連するので、雇用保険・失業給付制度などを含めた総合的な政策が必要となるのは必然である。
国は固定資産税の減免などに言及し始めている。
3-b-2 自粛損失の補償
感染症予防対策として最も争点となるのは、経済活動自粛要請に対応した補償の問題だ。
論理としてははっきりしている。営業を休止させるなら、その分の損失を補填すべきで、そうでなければ営業を続けざるを得なくなる。これほど明白なことはないのだが、政府の政策は自粛要請はするが補償はしないという矛盾したものになっている。
このことがさらに混乱を引き起こすのは、国が根拠を示さないからである。
補償をしたくないのか、出来ないのか。出来ないのであれば、どのような試算を根拠に出来ないというのか。また、したくないのであれば、それはどのような政治的理由があるのか。
このようなことを政府=総理大臣は全く明らかにしない。それが示されないから誰も納得できない。
明らかにしない理由自体もわからないが、ただ現実にアベノミクスが実は大失敗していて、諸外国並みの補償をすると日本経済が大きく没落してしまうと政府自身が考えている可能性はある。そのため政治責任を追求されないよう何も語らないのかもしれない。
いずれにせよ、この問題の解決は、国民の多数が納得できる補償を行うか、補償が出来ない理由を明らかにした上で政治責任を取って辞任することを表明し、国民に納得してもらうか、どちらかしかないだろう。(もちろん辞任に当たってはこの時期に政治的混乱と空白が出来ないよう、最新の注意を払う必要があるが)