左翼と右翼のカテゴリ

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 乱暴な言い方をすると、現在の世界は「欧米」対「イスラム原理主義」の対立構造になっているが、20世紀は「欧米」対「共産主義」の対立構造だった。だからその当時は「右翼」と「左翼」のカテゴリー分けには意味があった。
 それは社会の様々なところで、ある人やグループの立ち位置を示す記号として有効だった。たとえば自民党は「右」で社会党は「左」、アメリカは「右」でソ連(ロシア)は「左」、軍拡は「右」で反戦は「左」、保守は「右」で革新は「左」と言うように。もちろん今でもそういう決めつけをする人達は多いが。
 人々がなんとなく変だと気づき始めたのは、おそらくソ連の崩壊期だったろう。ソ連内部の権力者たちが激しく対立したのだが、そのときレーニンの共産主義の理念を(少なくとも名目上は)守りぬこうとする「共産主義者」が「保守派」と呼ばれ、アメリカ型の資本主義を導入しようとする側が「改革派」と呼ばれた。それまでの、また他の国の概念とは全く逆転してしまったのである。
 おそらく現代の日本でも「日本共産党」が保守的で、「日本維新の会」が改革派だというイメージを持つ人が多いのではないだろうか。ポスト冷戦期に入っていつの間にか保守と革新の概念が入れ替わってしまったのだ。
 しかしそれは不思議なことではない。実はそもそも20世紀の冷戦期に言われた「右」「左」という言葉自体が、ある種のまやかしだったからである。全く違う人、グループ、考え方、やり方であったとししても、無理矢理どちらかの陣営に一緒くたに振り分けて単純化したのだ。
 たとえば冷戦期の韓国は軍事独裁国家で、秘密警察が暗躍し、言論の自由が激しく規制されていた。一方、中国は資本主義経済を導入しはじめ経済政策上は共産主義を捨てつつあった。事実上、韓国と中国の状況は大変よく似ていたが、それでも韓国は「右」でアメリカの同盟国、中国は「左」でソ連の同盟国という単純なとらえ方が普通だった。
 ようするにこうした分類は、実体とは関係なくアメリカやソ連、もしくは自民党や労同組合などが自分たちにとって敵か味方か、影響力の行使が可能かどうか、利用出来るか出来ないかという観点で、勝手に分類していただけのものだったのだ。
 ただそれは当然マスコミや教育に直接反映されたから、多くの大衆、一般庶民はそうした「右」「左」の分類をそのまま鵜呑みにした(している)のである。だから左翼とか右翼と言っても、よく考えてみるとそれはたいてい漠然としたイメージでしかないはずだ。
 それでも人はそのイメージで物事を直感的に判断するわけだから、つくづく作られたイメージというのは怖ろしいものである。
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